風貌はペルシャ、顔は日本猫のオッドアイのにゃんこ小鉄のお話の続きです。
小鉄への思い
小鉄は、ほとんど鳴かない子でした。
たまーに鳴いてもかすれたような声しか出しません。
『もっと感情表現をする猫だったなら、なんとかしてあげれたんだろうか・・・』とか
『いや、その少ない感情表現の中からもっと気づいてあげていればよかったとか・・・』
当時、すごく自問自答して自分を責めていました。
だけど、小鉄の病名は『白血病』 治らない病気、余命半年と宣告されて、私と小鉄の別れは必ず近い日やってくる。
それなら、その時まで、たくさんたくさん、思い出を作ろう。
そう考えました。
小鉄の入院と介護
しばらくして、小鉄は検査入院をしました、でもそれが小鉄の身体にとってあまり良くなくて、入院中毎日お見舞いにいきましたが、徐々に衰弱していく小鉄の様子をみて退院させる事にしました。
それが10月初めの頃の事です。
周りの声で、病院を変えたほうがいいと言われて今の病院と違う他の病院を紹介してもらい、そこで通院にして小鉄の治療をすることにしました。
この時お世話になった病院は本当に良い病院でした、この病院で小鉄の最后までをしっかりと診てもらいました。
吹田市にある『小儀動物病院』さんです。本当に本当にお世話になりました。
※病院から小鉄が亡くなった時にとてもきれいなゆりをたくさん頂き
とても癒されました、とてもお世話になり本当に有難うございました。
10月前までは、ふさふさだった小鉄の毛並みも、少しづつ細くなってゆき10月後半・11月はどんどん痩せていきました。
その頃には、私と小鉄は一緒に会社に通勤して会社内で看病しながら仕事をさせてもらっていました。
自分ではもうご飯を食べる事が出来なくなり始めていた小鉄は一人には出来なかったのです。
当時も感じていましたが、このお仕事環境はほんとうに有難かった。
こんな環境は当時でも、今のこの時代でも難しいと思います。
本来なら絶対出来ない事なのですが、会社の御配慮でそうさせてもらっていました。
感謝しかありませんでした。
会社の同僚も、私が営業に出ている間は看病してくれて、私と小鉄は恵まれていたと思います。
営業先にいる時に会社の子からメールが届いて・・・読むと
『こて、かりかり4粒食べたよ。』と知らせてくれて、ほんと泣きそうになりました。
この頃の小鉄は、もう固形の食事がほとんどできない為、栄養価の高い流動食の食事に変え、管から食事させるようになっていました。
小鉄は、給餌させるようの管が嫌なのかすぐに取ってしまうので、この管をつける度に病院に行くことが難しく、私は病院の先生に教えてもらい自分で小鉄に管を入れれる様にまでなりました。
やればできるもんです。 もはやこれは介護ですね。
できるだけ長く小鉄と居たい、少しでも長く・・・。
まだ続きます。
小鉄のことアーカイブは≫こちら≪
- 愛ペットスタッフの猫・・・小鉄のこと。Ⅸ - 2022年8月5日
- 愛ペットスタッフの猫・・・小鉄のこと。Ⅷ - 2022年7月10日
- 愛ペットスタッフの猫・・・小鉄のこと。Ⅶ - 2022年6月7日