忠犬ハチ公のエピソードはご存じでしょうか?
亡くなった飼い主を10年間待ち続けた、という1匹の秋田犬ハチのお話です。
ハチは11歳で亡くなっていますが、そのとき火葬・葬儀などしてもらえたのでしょうか?
今回はハチのエピソードや当時の状況などにも目を向けながら、ハチとペット葬の関わりについてお話します。
知っているようで知らないハチの物語。
ぜひご一読くださいね。

忠犬ハチ公とは?

・ハチ公はなぜ忠犬と言われるのか?

飼い主だった東京帝国大学農学部教授の上野氏は愛犬家で、通勤時、渋谷駅までハチと他の2匹の犬に送り迎えをさせていたそうです。
ハチが家族になって1年と少し経った1925年、上野氏が急死してしまいますが、ハチはその後10年間も渋谷駅を訪れては上野氏の帰りを待ち、晩年には渋谷駅に住みついていたと言われています。
飼い主を待ち続けるその姿に多くの人が心を打たれ、今もなお忠犬として語り継がれています。

 

 

・ハチの苦労


当時は、たびたび渋谷駅に現れるハチを快く思わない人もいたようで、野良犬として捕獲されたり、状況を知らない人から邪険に扱われたりすることもあったと言います。
また、上野氏が亡くなってから他の飼い主のところを転々としたようですが、信頼する飼い主を失い、住む場所も変わって不安で心細い日々を送っていたかもしれませんよね。
愛犬家の上野氏なら、愛するハチには、安心して第二の犬生を送ってほしかったのではないか、などと考えずにはいられません。

 

忠犬ハチ公は世界でも愛されている

・日本の新聞に掲載された

ハチが渋谷駅で飼い主を待ち続けていると知った人が、1932年に新聞に寄稿したことがきっかけでハチは一躍人気になりました。さらに翌年、再び新聞に掲載され話題を呼びます。
状況を知った人々はハチに同情し、優しく接するようになったそうです。
1934年に「忠犬ハチ公像」が建てられたことからも、当時の関心の強さが伺えますね。

 

 

・日本やアメリカで映画化されている

1987年に日本で「ハチ公物語」が、2009年にはアメリカで「HACHI 約束の犬」が公開されました。
HACHI 約束の犬では、リチャード・ギアが主演だったことも話題を呼び、世界中の人がハチを知ることになりました。

忠犬ハチ公は火葬・葬儀された?

 

 

・ハチが亡くなった原因は?

ハチは1935年11歳で亡くなりました。
ハチの病理解剖の記録や、近年新たに行われた検査からは、肺・心臓の癌とフィラリア症が原因だったと考えられています。

 

 

・ハチの告別式は渋谷駅で行われた


ハチの死後、渋谷駅で行われた告別式には、上野氏の妻や、当時飼い主だった小林氏、駅員や町内の人など多数の人が参列したそうです。僧侶による読経が行われ、供え花や香典なども届いたと言われています。
ハチの告別式は日本での初めてのペット葬と言われ、ハチがどれほど愛されていたかわかりますね。

 

 

・ハチの供養

ハチは上野氏が勤めていた東京帝国大学で剥製にされました。
そのため肉体や遺骨はありませんが、上野氏のお墓の横に小さな祠が建てられ、ハチはそこに祀られています。
これからは上野氏とずっと一緒に居られるように…。
ハチを想う、たくさんの人の温かい気持ちが込められているように感じますよね。
現在とお別れや供養の仕方は違うかもしれませんが、ペットを労い、感謝の気持ちを込めて送ってあげたいと想うのは、いつの時代も変わらないのかもしれません。
なお、ハチの剥製は国立科学博物館に展示されています。

 

 

忠犬ハチ公は世界中で愛されている


1935年に建てられたハチ公像は戦後再建され、今では最も有名な待ち合わせ場所になりました。海外でも情報誌に紹介され、たくさんの人がハチ公像を訪れます。
ハチが亡くなって100年近く経ちますが、ハチのお墓では周年法要が行われていますし、お参りする人が後を絶たないそうです。
こんなにも愛され続けている犬は、世界中にハチ以外いないのではないでしょうか?
早くに飼い主を亡くして、悲しい思いをしたかもしれません。
それでも、多くの人と関わり、たくさんの愛情を受けて生き、旅立っていったと信じたいですね。

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岩下ちくわ
岩下ちくわ
大学の農学部で人と動物の関わりについて学び、現在は2匹の元保護犬と暮らす、動物が大好きなライターです。 犬や猫を初め、動物との暮らしに役立つ情報を、分かりやすくお伝えしていきます。